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戦後日本の復興を世界に知らしめた立役者がいた!我々の祖先の命の恩人

以前、当時の北里研究所病院の院長先生のご紹介で私のところに健康相談にいらしてい方で、いつも紺色の服を着ていて、腕に漢字の英と入れ墨があるご老人がいました。いつも奥様につれられて来られます。奥様はこんなに話をする主人は珍しいのですよ、よほど気に入ったようですとおっしゃっていました。

話題が豊富ですし、話がおもしろく、とても博識のある方だなという印象でした。お話を伺っていると紺色しか身につけない服の意味は海軍だったからということや、入れ墨の意味は戦時中中国人の少女をかばうためにその少女の名前をの入れ墨をして養女としなければ助けてあげられなかったからということでした。腕には入れ墨以外にも2つの傷がありました。同じような傷は胸や鎖骨付近にもありました。それらの傷は拳銃で撃たれた時の傷でした。元々朝日新聞の記者皆をされていたということでしたが、そのなかでも相当異端な存在だったようです。

みなさんは小野田さんという戦争が終わったのにそうとは知らずにフィリピンに残っていた元日本兵をご存知ですか?横井さんもそうですが、その人たちをつれて帰ってきた人はこの方でした。まだ戦争が終わっていないと思っていた小野田さんは、林の中に身を隠していたそうです。そういう日本兵がいると聞くやフィリピンの現地に入り、丸腰であることを証明するために素っ裸になり、戦争は終わったから早く出てきて一緒に帰ろう、と叫び続けたそうです。

小野田さんは絶対に敵の罠だと思って拳銃で狙っていたのですが、たった一人で真っ裸で毎日毎日叫んでいるので、最後は信じられたそうです。そして日本につれて帰ることが出来たそうです。戦争が終わっても日本人の捕虜がフィリピンで拘束されていたのを救ったのも彼の功績だったようです。もしかしたら私たちの祖先もそこにいたかも知れません。多くの人の命をたった一人で救ったのです。そんな理由で傷だらけだったのです。

中国軍につかまったときは拳銃をこめかみに当てられて危機一髪だった時、日本人は顔を洗う時に手を動かすが、日本人ではないと見せかけるために顔を洗う時の仕草で顔を動かして見せるという機転を効かせて難を逃れたそうです。そういう方なので、会社の言うことは聞かずに単独行動で、鉄砲玉のようだったと当時をふりかえっておられました。

そして、戦後の日本にも何もない状態からついに乗用車の時代が訪れようとしていた時に、この方は、戦後の焼け野原の中からついに日本は乗用車を作るまでに復興したのだということを世界に知らしめようと考えて、新聞社に企画を提案したそうです。それは、日本初の乗用車トヨペットでロンドンから日本まで横断することで世界にアピールするということでした。当時ロンドン特派員だった彼としては、英国人の反応が目に浮かんでいたそうです。

しかし、会社は猛反対。仕方がないので今度はトヨタに話を持ち込んだのですが、これもダメだったそうです。ここでどうしてもあきらめがつかず,粘った結果、朝日新聞がトヨペットの車を買い取りという条件で、しかも途中の砂漠に対応するための特別補強を条件にOKが出たそうです。もし、失敗したら日本は復興を世界にアピールするどころか、世界中の恥になってしまうし、トヨタにとっても大きな決断だったといっていました。

1957年ですよ。戦争が終わってまだ12年しかたっていないのです。日本は世界中から奇跡の国として注目をいかに集めていたのかが当時の写真を後で見せていただいてわかりました。英国の港にトヨペット、それに群がる人の輪がそれはそれはものすごい人の数です。ここからいよいよ日本に向けて出発です。メンバーは2人。一人はその新聞記者の方でもう一人はカメラマンです。

途中では何度ももう無理かなと考えたそうですが、様々な困難を乗り越えて、日本にたどり着いたそうです。日本に帰る途中では指揮者を目指して旅をしていた若き日の小沢征爾氏との出会いがあったそうで、その出会いが無ければもしかして、今の小沢征爾さんはなかったかもしれません。

というのは、それからしばらくして、そのご老人が来院されたとき、1冊の本を渡されました。タイトルは「ロンドンー東京 5万キロ」 と書いてあるすごく昔の本でした。そのご老人が書かれた本にすべて書いてありました。それに伴う様々な新聞記事なども見せて頂きました。

そんな日本人が実際にいらしたのです。朝日新聞記者をへて朝日新聞取締役からテレビ朝日取締役に、その後特別顧問になられたようです。

この本も当時の大ベストセラーになっていたようで、今の70歳以上の方達は多くの方がご存知かと思います。でも、この本に書かれていることはこの方の功績の本の一部分でしかないわけです。本当に凄い人のことは表には出ないものが多いし、知られることがすくないものですね。

そうやって、先輩たちの恩恵を受け継いで、時代とともに適応させながら発展しているのだとつくずく思います。人は絶対に誰かのお世話になっているのですね。感謝、感謝。

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